第一章

今、思ってみれば、不思議な巡り合わせというべきか、人間の生き様というものは、ほんのチョットしたきっかけや出来事、そうしたことの重なり合で変わっていくものだ。私の場合も、当時勤めていた広告代理店の、デイレクターの友人が主宰するニューヨークのデザインスタジオで働いてみないかという話があったことから、話はスタートする。

いつかは海外でデザイン活動をしてみたい、と思っていた私はこの話を承諾した。なけなしの給料から授業料を捻出し、英会話スクールにも通ったのである。その矢先、このデザインスタジオの経営状態が思わしくなくなり、この話は中断してしまった。

しばらく気の抜けたようになっていた私に、またまた海外での仕事の話が起きた。しかし、今度の話は西ドイツ(その当時はまだ東西統一されていなかった)である。少しためらったが、1年間という期限付きでもあるし、まあ何かの勉強にもなるだろうというような、軽い気持ちだったのであったが..............。早や10数年。しかもまさか、ラベル収集という性悪女のように魅力的で、離れがたいワナが待っていようとは、その時、知る由もない。そうして、デユッセルドルフにアパートを借り、私のドイツでの仕事が始まったのだ。

とりあえず、いくつかのクライアントの担当になったが、もちろん、ドイツ語などはチンプンカンプン。ある時など、その頃日本で流行っていた津軽海峡冬景色をドイツのビアホールで歌い、ドイツ人の目を白黒させてしまったという快挙(暴挙?)を行ってしまった。

余談がすぎてしまったが、担当したクライアントの中に、バーシュタイナーブラウエライという中堅クラスのビール会社があった。その会社のポスターや雑誌広告などを制作するのも私の仕事の一つで、当然、広告宣伝活動の常套手段のひとつとして、マーケットリサーチというものがある。かんたんに言えば、同業種の商品、ここではビールなので、どのようなビールが販売されているか、市場構造はどうなっているのかを調べる必要があるのだ。幸いドイツには、レストラン、ビアホールの他にも、クナイペという居酒屋があるので、私は尻尾を振り、喉を鳴らして飲み回り......ではなく、視察にいったものだ。

まあとにかく、いろんなクナイペを飲み回り。研究?するのだが、驚いたのはビール瓶(形)、コースターの種類の豊富さ。おまけに、ビールの栓の開け方までがいく通りもあるのだ。しかし、見えない糸で結ばれていたというか、やはり私の心を捉えて離さなかったのはラベルであった。忘れもしない、最初のビアラベルコレクションは、とあるゲトリンケラーデン(西ドイツの飲料水専用のお店で、そこはまた地方のありとあらゆるビールの宝庫でもある)で買った、帆船がデザインされたラベルのフレンスブルガーピルツというビールだった。買ってきたボトルをテーブルに置き、グラスを持つと、まるで初めてのデートの時のように、期待と気恥ずかしさが入り混じった、不思議な気分になったものだ。嗚呼!思えばこれが深みに足を踏み入れる第一歩だった。栓を抜き、グラスに注ぐ。”きめ細かい泡に透明な琥珀色が爽やかだ。(ウン、なかなかの美人だ)それに何と言っても、趣味の良いそのラベルが素敵だよ”などと勝手な事を言いながら、ビールをあけてしまう。やがて、空になったビール瓶を持って風呂場へ。と言っても、別にビール瓶と一緒に風呂へ入るわけではない。後になって色々とわかってくるのだが、最初の頃は、まず大きなバスタブの中に水を張り、ビール瓶を数時間その中に漬けておく。そうしておくと、ラベルがビール瓶からジワジワと浮いてくるので、我が愛しのラベルをいつくしむように剥がすわけだ。後はキュウヘンパピア(ようするにキッチンペーパー)を二つに折り、その中にラベルを入れ、厚手の電話帳(いろんな本を試したが、電話帳がいちばん吸収性が良い)にはさみ込み、その上に重しを置いておくと、次の日にはきれいなラベルが出来上がっているという次第。ずいぶん手間暇をかけてコレクションしていたものだ。 ........................to be continued.

上記4種はハンブルクを本拠地にするホルステンブラウエライのとても珍しい貴重なラベルです。