第二章

ある日、いつものように行きつけのクナイペに”研究”をしに行き、マスターにこの苦労話をしたところ(この頃になるとペラペラとまではいかないが、ペラッとくらいはドイツ語が話せるようになっていた)、突然マスタ-が大声で笑い出したのだ。私の言ったことがジョークだと思ったらしいのだ。キョトンとしている私を見て、冗談ではないと悟った彼は、今度は同情するように私にこう言った。「そうか、わかった。お前、それで次はどんなラベルがほしいのだい?」と聞くのだった。私は以前から、どうしてもコレクションの中に入れたいと思っていたシュペートブラウの<ドラッヘンブルト>というビールの名を彼に告げた。騎士が竜を退治するという、いかにもヨーロッパ的なデザインが気に入っていたのだ。彼はサッとメモをとると、胸のポケットにねじ込み、そして、おかわりの<バーシュタインピルツ・ビア>を私の前にさしだしながら、片目をつぶって見せたのだ。

 1週間ほど過ぎ、友人数人とそのクナイペに繰り込んだ私たちは、シュタムティッシュ(ドイツのビアホールやクナイペには、そこの常連の人しか座れない席がある)に陣どった。そこへマスターがニヤニヤしながら寄ってきて、私に封筒を手渡した。なんと中には、あの<ドラッヘンブルト>のラベルが入っていたのだった。しかし、よく見るとこのラベルの裏には糊の付いた跡がない。そう、印刷したての真っさらのラベルだった。驚いた私は、あわててマスターに入手方法を聞いたのは言うまでもない。

 彼がとった方法というのは、まず目当てのビール会社の住所を探すのである。ビールのラベルには、住所が表示されていないのだ。専用の住所録があるので、それを手に入れ、その後、手紙を出す。つまり「私はコレクターです。御社のラベルに興味があるので、何枚か送っていただきたい」と書く。すると、1週間くらいでマスターにもらったような、真っさらのラベルが送られてくるというわけだ。試しに私も2、3社に手紙を送ると、早いもので4日、遅くても2週間くらいでラベルが送られてきた。中にはラベルはもちろんのこと、コースターや栓抜き、会社概要のカタログまで送られてくることもある。

 ビール会社にしてみれば、コレクター=お客さまなので、一種の宣伝活動と考えているようだ。それからというものは、セッセと手紙を書く毎日であった。北はフレンスブルグから南はミュンヘンまで、西ドイツの全てのビール醸造元に手紙を出すのだから、年に100メーカーぐらいに手紙を出していたことになる。3日に1度は手紙を書いていたのだ。まさに病こうこう、ラベルの虜。

 もちろん、ただ単にコレクションの数を増やすのに血道をあげていたわけではない。たとえば、スコッチウイスキーの<オールドパー>のラベルには、80歳で始めて結婚、1男1女をもうけ、123歳で再婚し、1女をもうけ、152歳の天寿をまっとうした英国の農夫トーマス・パーが描かれている。このパーじいさんの肖像画は、17世紀の巨匠ルーベンスが描いたものだ。このようなラベル、もしくは酒に関する逸話も、私の興味をそそるのに充分だった。ほら、恋人のことは何でも知っておきたいあの心境だ。

 ビールに関するあらゆる文献、専門書を入手し、コレクターズクラブの会員になり、年4、5回開かれる大会にも顔を出すようになっていった。ビールの醸造元が主催し、コレクターズクラブが協賛という形で開かれるこの大会では、そのビールの醸造元からあらゆるノヴェルティが提供され、同時に会員同士のコレクション交換会も行われるのだ。

 しかし、いろいろなものがある。ラベル、コースター、栓抜きはもとより、さまざまなグラス、王冠、はてはブリキの看板まで。めずらしいものになると、紙幣がまだなかった時代のビール交換専用のコイン等々。それにしても、人々はずい分昔からビールを飲んでいたのだと感心してしまう。そういえば、人類最初の文明といわれるチグリス、ユーフラテス河にはさまれたメソポタミアで起こったシュメール文明、そしてそれを育んだシュメール人は、その時すでに4種の、ひじょうに発達したビールを飲んでいたという話を聞いたことがある。

 コレクションを始めて10年以上。収集したラベルの数も2万枚を超えてしまった。できることならば、私のコレクションしたすべてのビアラベルの、ビールそのものの味も試してみたいとは思うのだが、1日1本としても、1年で365本。2万本ともなると50年以上もかかってしまう計算になる。とは言っても、気に入ったラベルのビールには、やはり失礼がないように、味を確かめにアウトバーンをブッ飛ばすこともしばしばだ。ある時、フランクフルトでの仕事が予定より早く終わり、私のコレクションの中で、お気に入りの1枚のラベルのビール醸造所を探しに行った時の話だ。そのラベルは、手書きのデザインを単色で刷った、とてもシンプルなものだった。そのラベルが表すように、醸造元とは言っても、醸造元と居酒屋、そして民宿を兼ねているような小さな所である。西ドイツには、こういった所がけっこう多くある。大きなビール醸造元で働きながら、ブラウマイスター(ビール醸造資格を取得した人)になり、新しいビール工場やこういった所のオーナーになるのだ。

 どんな味なのか、造っている親父さんは、おかみさんたちはどんな人なのか?いろんなことに思いを馳せながら、探しあてた所は1軒の古い居酒屋兼民宿風の家だった。しかし、いくら呼んでも返事がない。どうやら休みのようだ。しかたなく手紙を書いて、ポストに入れてハンブルグに戻った。数日後、返事が来たが、その手紙はそこのオーナーからではなく、隣の人からだった。「オーナー兼ビール醸造者(ブラウマイスター)は、亡くなられました」という、簡単な1行だけの文面だった。

 今となっては、確かめようもないそのビールの味。私の中で幻となってしまったそのビール。しかし、私のビアラベル・ラヴストーリーのページをめくると、あの古い民宿風の家のたたずまいがオーヴァーラップする、単色刷りのそのラベルがきちんと収まっている。